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わだかまりが解けた日

社会において「ものの見方」は確実に変化している。

しかしどうやって変化しているの??

 

法律によって企業行動が変わり、それが大衆の価値観を変えている、と長い間信じていた。法のインパクトってすごいや、と。

 

しかし、先日の説明会で担当者が「人々の精神面に政策や法で介入してはいけない」と語っていた。

それじゃ人々の価値観、つまり「ものの見方」を変えられないじゃないか。

価値観を変える源泉はここではないのか?それならどこなんだ?

…という感じで、悶々とする日々が続いた。頭の中で膨れ上がりパンク寸前。

助けて先生ー!というわけで訪問。

 

先生は一通り私の考えを聞いた後、「いくつかの層になってると思うんだよ」と切り出して1つ1つ丁寧に話してくれた。

 

・徳=社会的に価値のあるもの。共通。

・善=個人で価値のあるもの。それぞれ異なる。

自由主義において人々の精神に法がズカズカと入っていくのはタブーとされている→善への介入は不可

 

・政治家は価値観を出す。国民はそれを選ぶ。

・両者の合意がなされた地点で行政官は執行する

→行政は中立でなければならない。

 

法は強力なツールであることは間違いない。だからこそ、それを扱う行政官は、政策立案・執行において自己を抑制しなければならない。中立な立場なことを常に忘れてはならない。

 

結局、「ものの見方」ないしは、社会の変化たるものは、

誰かが「おかしい」「生きづらい」と感じる→同じようなことを思う人が増える→政治家がそれをキャッチして世の中の論点に持っていく→社会で注目される→デモクラシー機能が働く→着地点で行政が執行→企業行動が変化→世の中が変化

ざっくりこんなメカニズムなんだろうな。

 

今回の会話で「中立であれ」「表と裏の両面を見よ」というメッセージが強く込められていた(ような気がした)。

たとえば、商品の価格が下がるのは嬉しいことだが、そこで自分や家族が働いていれば給料が下がることにつながりかねない。

また、子育て支援として増税する。「少子化は社会問題だから社会全体で支援する」という考えがある一方で、子どもを産まない、また「産めない」人にとっては罰金を科しているのと同じである。それはつまるところ、「産めよ育てよ」に行きついてしまうのである。

表には必ず裏がある。厚労行政は人に直接的にかかわる分、それが露骨に現れるのである。

 

 

中立な立場で、見逃しがちな裏を意識して考えよ。

今後の教訓となった。

 

長く苦しんだわだかまりから解き放たれ、自分の課題も見つけられた。

いつか言われた「物事を考えるバランス感覚」という言葉の意味をやっと理解できた気がした。ちょっぴり心の成長。

 

仕事に求めるもの

<仕事と社会との関係>

・機能していなきゃ多くの人に影響が出る

→普段気づかないけど実は人々の生活を支えてる

・長期的視点の方が短期的視点より強い

・地方にインパクトを与えられる

 

➡︎地方の人口減少を食い止めるために必要なものは産業と教育だと思ってる。自分は子供に外国語学んでほしいし、知的好奇心促す施設やイベントにたくさん連れて行きたい。あと自然と触れ合わせたい。それに加えて地方の課題に合わせた教育も盛り込めたらいいのにな。例えば福島県なら肥満児や望まない妊娠の数が多いからそれに関する教育とか。あとは浜通りイノベーション施設作られる予定だから、そこの見学や体験盛り込んだりね。いいね。

子供がそういう教育受けられて、そこに自分が納得できる仕事あれば、私なら移住する。

 

私は産業を重視してるのか、教育を重視してるのか。同じレベルなのか。うーむ。

 

 

<組織と自分との関係>

・組織のブランドに守られながら働ける

→保守的って意味じゃない。社会における信頼は先輩たちが築いてるから、私の代で一から築く必要がない。その分、より幅をきかせた仕事ができる。(いまだって大学名を使って色んな経験させてもらえてるし)

・男性数>女性数

→変な意味じゃなく、今までの経験上、女性の割合多いところは私の"ぎゃはぎゃは"キャラが受け入れられにくい。女性2-3割がベスト。

・金は生活できればいい

・その組織で働く20年後の自分や社会を楽しく想像できる

 

そんなもんかな。

 

前まで「安定」だけを求める人々を嫌っていたが、安定も要素の1つに入れていいんだな。と思った。先の読めない現代社会で長期的視野に立って仕事できるには、安定の要素も必要。滅多なことじゃないと倒産しない組織に属して、楽しい未来を妄想しながら、それに近い社会にしたいものである。

 

よく、「自分を成長させてくれる」って項目あるけど、あれ見るたびに「組織に成長の機会を与えられるの待ってちゃ成長できないじゃん」と、はむかっているのだが、実際「成長」とやらは組織に求めるものなのか。どうなのか。

 

労働局・労基説明会/ざっくり感想

広報に「従業員の人材育成支援してます!」と書いているが、実際の仕組みは、

企業で人材育成支援→かかったお金を申請→お金給付

といったお金だけの間接支援。

 

「労働者を守る」とは言っても、長時間労働などの危なそうな企業に行って、「違法ですよ、考えてください」と言うだけ。

 

労働行政、最終的には労使の行動にかかってくるから、介入の仕方が難しいところ。

 

聞いていて「なんて受け身な姿勢なんだ…」と思っていたが、警察的要素も含んでいるからそれが労基の性質、という着地点にたどり着いた。あとは企業に指導するったって基本1人で行くんだもの。そりゃインパクト小さいさ。

 

「廊下を走るな!」って言われた時には早歩きするが、先生が見えなくなると走り出す。

と同じ原理が働いているから、長時間労働はいつまでたっても改善しないのだと思う。うーむ。

 

 

労働局に就くとハローワーク勤務が多い、というのは知らなかった。あとは本省と労基との仲介役だから、間に挟まれる大変さもあるのだとか。

ちなみに都道府県ごとに設置されているが、県庁や市役所との関わりは稀で、基本的には上記機関とかかわるらしい。

 

勤務地は

定着地2年、移動地2年、移動地2年、以降定着地、昇進の頃に移動地2年、以降定着地

と、ライフプランが立てやすく、かつ他県も経験できるという、程よい感じがなかなか良い。

 

 

自分の興味ある(と思っている)仕事に夢見がちな性格、ここ数ヶ月で直ってきたぞ。まだ夢見てるだろうけど。理想と現実の乖離できるかぎりなくすため、フラットに、かつ"組織"ではなく"個人"の仕事として落とし込みながら考えることを続けていこう。

 

 

総合職オプションの宿題終わった達成感が最高潮。明日は刑法やったるぞ。2週目もやったるぞ。

育児をやめられる仕組みがあってもいいじゃんか

今日の政策ワークショップのテーマは「少子化に歯止めをかけるにはどうすればよいか」。

社会保障政策や雇用政策の観点から考えようという話だったが、「根本ってそこじゃなくないか」というマインドが個人的ブームでどうしてもその観点から考えられなかった。

 

なぜ子供を産まないのか。低所得や長時間労働が挙げられていたが、本当の原因はそこではない気がする。心理的要因が大きいのではないか。

 

一度出産したらもう後戻りはできない。基本的に人生において、嫌なことがあれば逃げる(やめる)ことができる。仕事も転職できるし、友人関係も絶つことができる。だが育児は違う。「育児やーめた!」なんて簡単にできないのである。

その今まで経験したことのない重圧、しかも子育てなんてしたことがない。小さい子の面倒をみたことがないから子育てのイメージが全くわかない。

ハードル高すぎるぞ。

(驚いたことに、出産にまつわるこの心理的不安が女性には理解され、男性には理解されなかった…むむむ…)

 

しっかし、なぜ子育ての逃げ道があまりにも狭すぎるのか。「親になるのならそのくらいの覚悟を持て!」の精神論、急激な人口減少で日本が危機に瀕しているのにまだ続けるんですか。子育てから逃げたっていいじゃんか。

 

子育てが嫌になってしまった人と、子どもが欲しい人とを上手くマッチングするシステムあればいいのに。つまりは養子。ただ、養子になったからといって産みの親と絶縁状態になるのではない。実親と養親が事前に対面して互いを知る。そしてルールを決める。養親が用事のあるとき実親に子を預けるのOKってのもよし。

 

育児から逃げられる仕組みがあってもいいじゃんか。

逃げるは恥でもなんでもない。

 

バレーは社会の縮図である

「この世の中は誰が動かしているんだろう」

これが中学生から延々と考えていたテーマだった。

今までずっと行政機関だと思ってたが、話を聞くほど、長い間誤解していたと感じた。

 

そんなこんなで辿り着いた先は

「世の中は相互作用で動いている。探し求めていたWhoは存在しない。」

という考えである。結局平凡な結論に至った。

 

そう考えたとき、社会とバレーボールは似ていると感じた。

 

バレーボールのルールを作っている人たちは国家

監督は都道府県

キャプテンは県の中でリーダーシップのある市町村(アタッカーの場合も、セッターの場合もある)

エースは県の顔となる市町村なり企業

(キャプテンエースな県もある)

その他プレーヤーは企業

観客はその自治体にすむ人々。その中でもメガホン持って仕切ってるのは有力者やマスコミかな。

 

こう当てはめると、個人的にとても腑に落ちる。

共通ルールが変わればプレーの仕方が変わるが、試合展開まで変えられるわけじゃない。

1人だけが頑張ってもボールを繋げることはできない。多くのプレーヤー(団体)がいてこそ成り立つ。

ボールの動きは止められない。世の動きは止められない。

観客の応援があってこそプレーヤーの力が発揮される。人々が賛同すれば大きな力になる。逆にブーイングされ続けるとプレーヤーの本来の力もチーム全体のムードも下がる。

 

バレーボールこの社会も、みんなで繋いでつくりあげていく。

バレーボールは社会の仕組みを表す縮図だなぁなんて考える朝であった。

 

結論、バレーボールは最高のスポーツである。

地域包括ケアと総合診療医への期待

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東北大学病院のシンポジウムに出席。

 

これからの地域包括ケアに向けて

医者を総合診療医に、そして地域のさまざまな職種との調整役に位置付ける方針だとか。

 

お医者さんも大変だなぁ。。。

 

今後、10人に9人が全介助状態を経て死ぬらしい。ひぇ〜〜。

そんなもんで、介護も医療も資源が有限だし、傾斜配分採用しようって話も挙がってきてるとな。救急のノウハウ応用する模様。

 

特別区だけで、異状死件数(家で死んでるのを警察が見つける件数)が年間7500人近くいるんだって。1日…20人!?これはH25の数字だが、H15から10年間で1.5倍に増加しただとさ。とほほ。

 

一部では、こういう孤独死を防ぐように医師がアドバイスするべきだという意見もあるようだが、それも医師の役割なのか?はてはて。

 

行政に頼らず、医療機関が地域を担うというコンセプトは素敵だが、医師の役割の肥大化っちゅーのが問題になりそうである。

三つ子の魂百まで

就活サイトの適性検査とやらを試してみた。

結果がこちら。

実は幼いころは引っ込み思案で意思表示ができなかった。驚くほどに物静か。

しかし、小学生の頃に出会った友人が気さくでみんなから愛されていて、その上かわいかった。私と対極的な人でとにかく憧れだった。

そこから、私の性格改革が始まったのである。

15年ほどかけて、ようやく長所にその効果が表れた…が、

幼いころの性格は、今でも短所や精神面に残っているではないか。

うーむ。なかなか消えぬ。

 

ただ発想を変えれば、「引っ込み思案な人の気持ちが理解できる気さくな人」ってポジションを飾らずに出せるってことか。

「頑張れ」「そのくらい余裕」「それは甘え」などの言葉が、ひどく心を苦しめる…なんてこと、共感してくれる人はどれだけいるのだろう。そんな人に寄り添いたい。

根っこはなかなか変えられないが、枝を伸ばす方向なら変えられる余地はある。

今後どのような方向に枝を伸ばすか。じっくり考えよう。

 

「三つ子の魂百まで」この言葉をひしひしと感じる夜なのであった。